最然寺のあゆみ

 最然寺は十六世紀初頭(寛永年間)に創設されたと伝えられています。開山は真正院日随上人であります。日随上人は当時、上鳥羽の豪農の一人―樋口弥左衛門の次男として生まれ、若くして法華経に帰依し、本隆寺第十五世日顕上人を師として出家されました。樋口家の屋敷近くの現在地に一寺を建立したのがはじまりです。
 以来四百年近く、法華宗真門流総本山、本隆寺(京都市上京区)の直接の末寺として護持されてきました。現在の本堂・庫裡は檀信徒一致協力のもと昭和五十年十一月に新築され、同時に前住職の師匠である日蓮宗本山具足山妙覚寺貫首(当時)及川日修猊下の御指導の下、身延山を総本山とする日蓮宗へ円満改宗されました。
 以来、現代に生きる信仰を求めて活発に活動を続けています。平成二十一年十一月には新たに最然寺会館を新築し、聞法塾(聞法の集い)を開催しています。また、前住職は平成二十三年六月、千葉県多古町の日蓮宗本山日本寺に晋山し、日蓮教学を深めています。
 平成二十七年十一月二十三日には現住職が最然寺第二十八世の法燈を継承し、臨床心理士としても活動を行っています。

更新情報

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そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。

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会社移転しました

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ブログ更新しました

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業務内容

そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。
十八等官でしたから役所のなかでも、ずうっと下の方でしたし俸給もほんのわずかでしたが、
受持ちが標本の採集や整理で生れ付き好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。

開業支援

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経営サポート

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経理業務委託

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遺産相続

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ペット供養

最然寺では、昭和三十六年からペット供養を行っています。

当山にまつられている愛犬・愛猫等の供養塔は、次のような「由緒」と「願い」のもとに設立されました。
 当山に飼われていました愛犬の「ルル」は昭和三十六年夏七月中旬に、春以来の獣医師の至れりつくせりの手当のかいもなく八ヶ年の生涯を閉じました。それからわずか六日めには愛猫の「ミイ」が生後一ヶ月余の子猫数匹を残して不慮の死を迎えました。九歳でした。
 この現実に直面した寺族は、愛児を失ったような悲痛を味わいながら、獣医師の方々や多くの人々のご希望とおすすめによって、檀信徒と官庁の諒解のもとに、その年の秋十月に供養塔を創設した次第であります。
 その後は、獣医師やペットの追善供養を希望される方々の愛犬・愛猫を中心に小鳥類や猿や金魚などのどれもが家族同様に愛撫愛育さえたペットの諸霊がこの供養塔に眠ることになりました。
 亡くなったペットの為の御供養をさせていただくこと、ペットの死を通して正しい信仰に触れていただく良い「機縁」にしていただきたいこと、この二つが私共の願いでございます。
 現在の供養塔は、昭和五十年七月、本堂の新築にあたり、多くの方々の御芳志によって新しく建設されたものであります。

 

 納骨法要

随時勤めさせて頂いております。最然寺本堂で読経の後、合同の供養塔へ納骨します。電話、またはメールでご希望の日時をお伝え下さい。

ペットの特別法要

3月春分の日、お盆(8月15日)、9月秋分の日の10時30分よりペットの為の特別法要を執り行っております。

卒塔婆供養

ペットの追善供養のためにお題目を書いた卒塔婆を承っております。ご命日や春秋のお彼岸、お盆などに卒塔婆を立てられる方が多いです。
 


アクセス


 

お車でお越しの方

名神高速京都南ICから北へ約5分
 

電車でお越しの方

近鉄京都線 京都市営烏丸線 竹田駅   徒歩約20分 タクシー約5分
近鉄京都線         上鳥羽口駅 徒歩約15分
 

バスでお越しの方

市営18番 城ケ前町 徒歩約1分

京都市南区上鳥羽岩ノ本町5
日蓮宗最然寺
電話 & FAX : 075-691-9408
Email : kiyogun2@gmail.com